DVの正しい理解をする必要性(1)

言論活動をする余裕の喪失

パパっ子だった息子との突然の拉致様態での生き別れ強要により、どこでどのように生きているのかわからない不安に苛まれ、日々悪夢にうなされ続け、

孫に会いたい無念のまま他界した(理不尽に苦しめられ殺された)両親の介護に伴う心労、

連れ去りビジネスに寄り添う裁判官らの法や証拠を無視した、事実捏造、強弁(言いがかり)、一方の脆弱な主張のみの採用、あからさまな癒着の実態を思い知らされたこと、

同境遇とされる方々の一部からの執拗な嫌がらせに疲れ、

生きづらさに抗い続けることの不合理を思い知らされ、

裁判所書類やこの問題についての情報がPTSDのトリガーとなり苦しんでいる。

離婚弁護士らの連れ去りビジネス横行による被害者を救済する立法活動も皆無。

日本での共同親権導入も名ばかりのもので、離婚弁護士らやシングルマザー利権、養子縁組利権、面会交流支配利権に寄り添う内容にしかなりそうにはない。

このままでは、イジメ被害に遭い黙って自殺する児童や、強制労働で心身ともに疲弊し自殺する若者たちと同じような末路になってしまう。

同境遇とされる方々の攻撃性はどこから?

度々、同境遇当事者たちの分断のトリガーとなる政治家たちの言葉がある

「別居親は纏まれ」「別居親同士の分裂が招いた問題」「過激な(政治家を批判する)別居親をどうにかしろ」

子どもに会いたい親たちの弱みにつけこみ、期待を持たせて支配下に置く、汚いやり口だ。

選挙で選ばれる政治家に対して、意見を述べる機会が奪われたら国民主権は実現できないし、表現の自由は憲法で保障された権利の筈だ。

民主主義の根幹である意見表明の自由を奪う問題以外にも、別居親を一括りにする問題がある。

離婚弁護士らの連れ去りビジネスをに可能にしているのは、DV防止法の悪用保障だ。

この悪用保障の維持強化の歴史により、暴力的な父親も家庭的で子煩悩な父親も同じ船に乗せられ、命からがらの避難母親と親権独占目的の身勝手な拉致を行う母親も同じ船に乗せられている問題が発生している。後者は、フェミニストや利権に好都合なので、争いは起こらない。避難母親が同一視されたくないとわざわざ争いの火種を起こすことも無い。前者は、DV加害者が冤罪DV被害者を支配しようと攻撃性を発揮する格好の場にもなっている。

連れ去られ被害者の存在が不都合そうな弁護士からの提言

離婚弁護士らの連れ去り教唆斡旋ビジネス(本来は営利目的誘拐罪)が横行している日本では、それを維持するための言論活動が入念に行われている。X(ツイッター)には毎日長時間が長年費やされている。

そこでは、子どもの連れ去り被害父親たちを一括りにして、共同親権推進派と呼ばれることが多い。私もその一人のようだ。(中身が何でもいい共同親権には興味が無く、推進もしていない)

私はそのような印象操作の廃人とも思える弁護士らと論争をする趣味は無いが、絡んだこともないのに、ブロックされたうえで、スクリーンショットをされ、具体的な批判ではなく、「気持ち悪い」「くだらない」といった曖昧な表現での批判を受け、悪意扇動をされている。

離婚弁護士らの拉致ビジネス被害者の存在が都合の悪い弁護士は、堂々と明確な表現での論争をする自身が無いからブロックしたうえで曖昧な表現で批判するのだろう。

しかしながら、前述の通り、DVの定義や悪用問題が曖昧なまま、なりすましを保証している問題により、別居親がまとまらない問題や、議員立法や共同親権が、骨抜きどころか現状維持強化法になっているのだから、DVについて、確りと考え、意見表明する機会が必要と感じた。

今回は、ここまで。

次回から対峙した連れ去りビジネス常習弁護士らの主張などを元に配偶者間DVを検証する。

社会問題としてのブログ 「Taro's blog 報道されづらい真実 」や同境遇当事者向けのブログ「

過去を取り戻す未来を創る」ではなく、本ブログでの投稿を選んだのは、聞き伝手や読みかじりではなく、自分自身の実体験を元に考察する予定だからである。

弁護士小魚さかなこが、引用して「くだらんし気持ち悪すぎ」と批判している”まとめ”記事

*同境遇当事者向け

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